一関・平泉

大船渡線と私 開業100周年プレ企画

大船渡線の思い出①

 山汽車と呼ばれていた大船渡線が無煙化によりSLからDC・DLに変わった。私も転換訓練を受け、DCすなわち気動車の一人乗務に就いた。

 予備組のある日、臨時列車の乗務になった。気仙沼往復で往路は回送、復路が就職列車。気仙沼を出発し折壁に着くと、普段は通勤通学とたまに室根山登山の客があるのみなのに、いつもと異なりホームは黒山の人だかり。学生服やセーラー服に大きな荷物を持った乗客と見送りの親や友人たちで騒然となり、やがて発車の汽笛を鳴らしても列車から離れず、動き出して本来なら発車加速のノッチアップ進段するところ、惜別の情にほだされ少し低速で進行した。

 自分の子と同じ年頃で、親元を離れて仕事に就くのは他人事と思えず、しばらく忘れられなかった。その後も盆正月の帰省客の中に彼らがいるかと思いを巡らした。

 今でも懐メロの「ああ上野駅」と啄木の短歌に触れるたび思い出される。金の卵と言われた彼らは今どこに。

(一関市萩荘・千葉利二)


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企画/一関市観光協会、岩手日日新聞社

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