大船渡線と私 開業100周年プレ企画
私の叔母さんは、3年前に90歳で亡くなりました。大船渡線のことをよく話してくれました。
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戦中で、まだ叔母さんが小学生の頃。実家が魚屋で、年の離れた兄が気仙沼から魚を木箱で仕入れてくるのだが、大抵の魚屋が私利私欲はご法度で2箱くらいしか仕入れられないのを5箱仕入れて、よく問屋さんに「大丈夫なのかい? 憲兵に見つかったら没収されるよ」と言われていたそうです。
兄は何人かの乗客に干物2枚で木箱を持たせて汽車に乗り、連結部分に木箱を置き、一つを親戚がいる摺沢の町中の線路沿いに見つからないように蹴飛ばして落としました。さらに、柴宿駅を過ぎて砂鉄川を渡り汽車の速度が遅くなる所で、叔母さんたち兄弟が羽根堀で伏せて待機し、木箱を二つ落としました。叔母さんたちは木箱から落ちた魚を急いで拾い、家に持って帰りました。兄は木箱を二つ持って陸中松川駅で降り、バスに乗って家に帰りました。兄には「魚全部拾ったか!」と厳しく言われ、怖かったと聞かされました。
たまに、汽車の中に憲兵がいて次の連結部分に行けず、木箱を別の場所に落とすことがあるので、よく見ていないと見失うことがあったそうです。なので、大船渡線を見ると兄の怖い顔を思い出すと話していました。(一関市東山町・鈴木賢さん)
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企画/一関市観光協会、岩手日日新聞社