大船渡線と私 開業100周年プレ企画
私は昭和55年に大船渡の高校を卒業して一関ショッピングデパート千葉久に入社しました。私の実家は大船渡の日頃市町という本当に山ばかりの田舎でしたので、まずは実家を出たかった。ですが都会には行きたくなかった。そこで一関の千葉久は適距離の就職場所でした。
実家のある大船渡線の盛駅から一ノ関駅まで当時は何時間かかったのでしょうか? 最初はずいぶん遠い印象がありました。18歳で心細い気持ち、これから1人暮らし、一関という町は、人は、どのような生活が始まるのだろう? 不安を抱えながら大船渡線の窓から見える景色を眺めました。
住めば都と言います。順調に仕事にも慣れ、休みの日には一ノ関駅から盛駅まで大船渡線で実家に帰り、あれほど遠かった距離が心の余裕からか苦にならなくなっていました。窓の景色も四季折々で、大船渡に帰る時は心地よく、一関に近付くとまた仕事を頑張ろうという気持ちになりました。大船渡線は私の人生の第一歩を支えてくれました。
(一関市狐禅寺・伊藤和江さん)
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企画/一関市観光協会、岩手日日新聞社