一関・平泉

大船渡線と私 開業100周年プレ企画

 私は昭和41年から気仙沼市の時計店で働き、通勤に大船渡線の列車を利用していました。その頃は古い車両で冬は暖房が弱かったのですが、乗客は多く、夏の海水浴シーズンはぎっしり満員も珍しいことではなかったのです。職場からの帰りは最終列車で、通勤仲間もでき、車内は楽しい時間でもありました。それが年数がたつにつれ、新しい車両になっても乗客は少なくなっていき、寂しく感じていました。

 国鉄が民営化されることになり昭和62年3月31日、職場からの帰りに気仙沼駅で乗車する時、「国有鉄道気仙沼駅最終列車乗車証明証」とボールペンを頂きました。今回思い出して探したところ、きれいな状態で見つかり懐かしく、ボールペンも文字が書けました。

 気仙沼の職場は大震災の後まで約50年間勤めて退職し、今列車に乗るのは病院に行く時だけです。それでも鉄道は運賃も安く安全な乗り物だと思います。乗客が多くなり、大船渡線の運行が続くことを願っています。(一関市千厩町・千葉充さん)


 大船渡線にまつわる皆さんのエピソードを文章(400字以内)や写真、絵手紙、イラストなどでお寄せください。応募は掲載のQRコードから。郵送でも受け付けます。

企画/一関市観光協会、岩手日日新聞社

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