大船渡線と私 開業100周年プレ企画
私にとって大船渡線との出合いは、小学3年生の夏休み。祖母らが東鳴子温泉へ湯治に行くのに連れられ、小梨駅から一ノ関駅を経て東鳴子駅(当時)へ。乗ったのは蒸気機関車で、途中の陸中門崎駅から横石鉄橋の間にはトンネルがありました。窓が開いているため煙が入り、おまけに被っていた帽子が飛ばされた苦い思い出があります。
以後、野球応援で千厩、買い物などで一関、気仙沼に行く際、いつも利用しました。高校の3年間も小梨駅から千厩駅まででしたが、室根方面の方々など友人もでき、毎日が楽しい通学でした。
高校3年の正月明け、友人と夜行臨時列車で小梨から上野へ。通路に横になり、混雑の中過ごした初めての長旅でした。鉄道や旅好きになり、こうした鉄道との出合いが今につながっています。
社会に出てからも通勤、出張、旅行と千厩駅や小梨駅をよく利用させてもらいました。カーブのある千厩駅は「鍋弦線」だということが分かる駅で、鉄道ファンには貴重な存在です。大船渡線は、心と心を結ぶ、大事な鉄道です。
(一関市千厩町・村上福男さん)
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企画/一関市観光協会、岩手日日新聞社