大船渡線と私 開業100周年プレ企画
私の高校時代の通学は大船渡線、通称山汽車だった。区間は陸中松川駅から一ノ関駅まで。当時は蒸気機関車で、車内には今のような冷暖房はなく、冬季は石炭ストーブですすが飛ぶ。夏季は窓を開けるので、さらにすすが飛び、白シャツが汚れた。
一番列車なので通勤、通学、行商の乗客が多く、いつも満席だった。特に浜から内陸への海産物の行商の方が目立った。車内には魚の匂いが充満。行商の方の朝食時間帯でもあり、たくあんの匂いが嫌いだった私はデッキへ退避することもあった。賢い先輩は行商の方と仲良くなり、席をとってもらっていた。
一ノ関駅から真滝駅までの間は急勾配だったので、満席のせいもあろうか、人が歩くくらいまでスピードが落ちた。先輩たちは列車から降りて車両を押すしぐさをしながらはしゃいでいた。あれから約70年。懐かしさが込み上げてくる。
(一関市室根町・千葉繁美さん)
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企画/一関市観光協会、岩手日日新聞社