大船渡線と私 開業100周年プレ企画
大船渡線が気仙沼まで開通した日だったと思う。私は祖母や伯母、満員のお客さんと共に汽車に乗った。ボオーと大きな音、黒い煙を吐き、ジャチャボッポーと走り出した。蛇石の鉄橋を渡る頃は家や森が後ろへ後ろへどんどん飛んでいった。私は思わず「父ちゃんも母ちゃんも流れてしまう」と大泣きした。3~4歳ころだったろうか。その後はサーカス見物、歯医者、魚市場に行く際や小旅行で幾度も汽車に乗った。
小学校に上がり中級の頃、第2次世界大戦が始まった。毎日のように兵隊さんの見送りがあった。名旗を先頭に婦人会や大勢の村人がホームにあふれた。私たちは日の丸の旗を持ち、ブラスバンドを先頭に線路に並び、行進曲や軍歌を歌った。大船渡方面からの汽車に乗った兵隊さんたちは、窓から身を乗り出して「万歳、万歳」と叫ぶ。ブラバンの音も一段と高くなる中、汽車はゆっくりと走り出した。(一関市室根町・西城たみ子さん)
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企画/一関市観光協会、岩手日日新聞社