一関・平泉

大船渡線と私 開業100周年プレ企画

 大船渡線を50年前は「山汽車」と呼んでいました。学校の学年ごとのPTAの行事で海水浴へ行くのも山汽車でした。

 当時の列車は石炭をたいてジャジャポッポーと走る蒸気機関車で、すす煙が出たため、外に干した洗濯物は急いでしまい込まないとすすが付いて「あちゃー!」という状態になりました。

 やがて列車はディーゼル車となり、わが家周辺は沢踏切が整備され、国道に信号が付き、市内でも一、二の交通量の地となりましたが、家の窓から見える大船渡線の車窓の向こう側の人影はちらほらです。

 年を重ねた今、もう一度大船渡線に乗ってみたい。いつまでも残したい大船渡線です。

(一関市機織山・めたんこちゃんさん)


 皆さまからお寄せいただき、これまでに掲載した「大船渡線と私」のエピソードを岩手日日ホームページで公開しています。 

企画/一関市観光協会、岩手日日新聞社

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