大船渡線と私 開業100周年プレ企画
私が通学で大船渡線を利用し始めたのは、アメリカのアポロ11号が月面着陸した翌年からの3年間で、大阪万博、よど号ハイジャック、NHKのカラー放送開始、浅間山荘事件があった頃です。利用区間は千厩駅から気仙沼駅まで。今は無い気仙沼線も一部利用しました。
大船渡線と聞くと頭に浮かぶのは「走れメロス」という言葉です。太宰治の作品とは関係ありません。それは汽車の乗車時間に遅れないよう一生懸命自転車をこいで駅を目指す級友K君に向けて送った「走れK」の声援が、「走れメロス」と重なって忘れられないからです。
K君は家が小梨駅と矢越駅のちょうど中間にあり、矢越駅を利用していました。線路と国道284号が折壁駅まで並走し、お互いがよく見えたので、K君が自転車をこいで矢越駅に向かう姿を、われわれは車窓越しに見ていました。姿が見えない時は間に合ったのだろうとホッとし、姿が見えると何とか間に合ってほしい、「走れK」と声援を送る一方で、また「やってる!」と笑いを込めて見ている自分たちがいたのです。
当時の道路が舗装されていたかどうかは記憶にありませんが、砂利のでこぼこ道だったらさらに大変だったことでしょう。矢越駅で乗り過ごしたK君は折壁駅まで汽車を必死で追いかけ、乗車することもありました。何事もなかったかのように乗り込んでくる彼の汗だくの顔に同級生一同安堵(あんど)するとともに、それこそ何事もなかったように「おはよう」と声を掛けたのでした。
(一関市真柴・熊谷博さん)
皆さまからお寄せいただき、これまでに掲載した「大船渡線と私」のエピソードを岩手日日ホームページで公開しています。
企画/一関市観光協会、岩手日日新聞社