大船渡線と私 開業100周年プレ企画
私は昭和38年に千厩高校を卒業し、一関の商事会社に就職しました。家から北上川を渡り、砂鉄川のほとりの俗名「門崎土手」を通って陸中門崎駅まで数キロの道のりを自転車をこいで行き、一関まで列車で通勤しました。
当時、駅は通勤通学客でいっぱい。サラリーマンはホワイトカラーといって白いワイシャツが基本の服装でした。列車は蒸気機関車いわゆるSL。スピードは速くありません。陸中門崎駅を出発するとトンネルをくぐり、北上川に架かる横石鉄橋を渡り、平沢の上り坂へ。上り坂で蒸気機関車は馬力を上げるので、石炭の煙で白いワイシャツはすすだらけになりました。それでも車窓から眺める景色は、特に紅葉の頃は最高でした。
一日の仕事を終えて疲れた帰路。駅で当時30円くらいの天ぷらそばを列車が走り出すぎりぎりまで食べ、飛び乗ったものです。朝晩、手を挙げてあいさつする常連客でいっぱいでした。今でもいい思い出として心に残っております。
「大船渡線よ永遠に走りたまへ」
(一関市弥栄・佐藤憲一さん)
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企画/一関市観光協会、岩手日日新聞社