一関・平泉

大船渡線と私 開業100周年プレ企画

 昭和27年から3年間、陸中松川駅から千厩駅まで高校の通学でお世話になった。あの頃は岩ノ下駅も柴宿駅も猊鼻(げいび)渓駅もなかった。

 1年生の11月の寒い朝、猊鼻渓を過ぎて坂に差し掛かると、汽車はけたたましい汽笛と車輪が空回りする重い金属音を繰り返しながら熊野神社の辺りまでバックし、いったん停まり、さらに砂鉄川鉄橋までバックを続け、今度は勢いをつけて前進し、やっとのことで峠を越えて、現在の柴宿付近を通過した。

 同じようなことは2年生の12月にもあり、在学中に2回経験した。小野寺繁先輩の頃は4、5回あったという。当時の燃料は亜炭だったこと、汽笛の音が変わり、速度も上がったこと、郵便車両に乗ったことなど、先日先輩と汽車談義を楽しんだ。

 陸中松川駅は石灰関連の搬出のため、貨車取り扱い量が釜石駅の次に多かった。駅構内の広さと切り替え路線の多さは県下2番目の規模で、今でも駅を眺めれば当時の面影を感じることができる。

 地域の産業を支え、学びやへ若者を運び、行商をなりわいとする人々によって内陸と沿岸の物流の要となり、今では外国人を含めた観光客を運んでくれている。

 ありがとう大船渡線。

 おめでとう大船渡線。

 これからも大船渡線。

(一関市東山町・小野寺武美さん)


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企画/一関市観光協会、岩手日日新聞社

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