大船渡線と私 開業100周年プレ企画
昭和30年代初めの小学生の頃、真滝駅と一ノ関駅の間は子ども往復料金が10円だった。1人で汽車に乗ることがあり、一関の町に行った帰り、片道5円分を浮かせようと砂利道を裸足にゴム短靴でまめを作りながら家まで歩いた。ごく小さなお金であったが、決まった小遣いなどない私には、自由になる大きなお金に感じた。
昭和40年前後の蒸気機関車が気動車へ変わりゆく頃、高校への通学で利用した。連結車の端に付く客車代わりの郵便車に毎日乗った。終点一つ前の駅からで、車内は相当混雑していたが、学生同士の情報交換の場となっていた。
一ノ関駅発下り最終列車には蒸気機関車の後に客車が1両、その後に貨車が付く貨客混合列車があり、時々乗ることがあった。今どこかにこんな編成の列車はあるのだろうか。
高校卒業後も数年間利用し、青春の多くの思い出を運んでくれた大船渡線であった。
(一関市滝沢・伊藤則男さん)
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企画/一関市観光協会、岩手日日新聞社