連載小説「いけころし~伊達男捕物帳」

第二話「下手人 久四郎」(5)

 日も変わり夜半を過ぎたころである。
 万五郎も壁にもたれ、うとうとと浅い眠りに就いていた。
「万五郎様」
 戸の外からかけられた声に、万五郎ははっと目を覚ました。
 火皿の油も尽き、暗い部屋を這うようにして戸の傍まで行った万五郎は、
「誰だ?」
 と、低い声で戸の外の者に問うた。
「鉄蔵と申します。久四郎の兄貴はおりやすか?」
 万五郎が戸を開けると、そこには三十がらみのしっかりとした体格の男が立膝をついて頭を下げていた。
「鉄蔵とな?」
「へい」
「どうしてここが分かった?」
「次吉さんから訊いて参りやした」
「門はどうやってくぐった?」
「へい……開いておりやした」
「……福蔵め、鍵をかけ忘れたな」
「兄貴は?……」
「寝ている。まあ、入れ」
 万五郎は、鉄蔵を長屋に招き入れると、潜り戸の内鍵を閉め、火皿の油を取りに母屋の台所へ忍び込んだ。
(まるで盗人だな……)
 万五郎は得も言えぬ後ろめたさに、そそくさと台所を後にした。

「よく眠っておりやすな。兄貴はこう見えて酒が弱いんで」
「久四郎とは長いのか?」
「へい、兄貴が西から箱根にたどり着いた時からですから、もう五年以上の付き合いになりやす」
「箱根にたどり着いたとは?」
「兄貴は元々、西の近江の出で。藩の剣術指南役だったって話です」
「それがどうして箱根に?」
「それはあっしにも詳しく話してはくれませんが。どうも酒がきっかけで刃傷沙汰を起こして、藩を追われたとか」
「ほう」
「当時のあっしらは今のような集まりでは無かったんでございやす。各々好き勝手に客を取って。そりゃ喧嘩も絶えないような有様で」
「それを纏めたのが久四郎ということか」
「へい。兄貴は腕っぷしもありやすが、なんと言っても学がある。読み書きもできれば勘定もできる。昔、役人とひと悶着起こした時には、兄貴は口でそいつを黙らせた。あん時の兄貴はいなせで、あっしらも胸のすく思いでありやした」
 鉄蔵は、傍らで寝ている久四郎に目を落とした。
「そんな兄貴が、組を抜けると言い出したのは、少し前のことでございやす」
 万五郎は飲みかけた酒を僅かにこぼした。
「組を抜ける?」
「ええ。後釜をあっしに譲って……」
「……」
「兄貴は、舎弟との考え方の違いにずっと悩んできたんで。あっしら無頼の集まりでございやす。気性も荒い。喧嘩も日常茶飯事だ。でも、兄貴は簡単に人を殴ってはならん。暴力では何も解決しないと。兄貴は一度たりと自分の都合で人を殴ったことはないんで。いつも仲間のために拳を振るってきたんで」
「おゆきと所帯を持つこの機会に、足を洗おうとしたってことか」
「へい。なのに……ここぞという時に運が悪いというか」
「まったくだな」
 鉄蔵は、おもむろに腰を上げると、万五郎に向かって両手を着いた。
「万五郎様、兄貴は人を殺すような人間じゃありやせん。おゆきさんとは本当に仲が良く、お似合いの二人だったんで。どうか、どうか兄貴の罪を晴らしておくんなさい」
 というと、深々と頭を下げた。
 万五郎は、しばし黙って鉄蔵の後頭部を見つめていた。総髪の上に無造作に束ねた髷を藁のような紐で結っていた。
「鉄蔵、顔を上げろ」
「いいえ、このお願いは訊いてもらわねばなりやせぬ」
「俺には人の罪を拭うことなどできん」
「万五郎様」
 鉄蔵は顔を上げると、泣きつくように万五郎に近寄った。
「鉄蔵、お前の信じる兄貴分が本当に白なら。俺の力なぞ必要ないのだ」
「……」
「必ず疑いは晴れる。それが世の常だ」
「……へい」
 鉄蔵の表情は、暗い雲が晴れたようにぱっと明るくなった。
 そんな鉄蔵に、万五郎はこう続けた。
「わしは最近、正義と悪の境界線というものがつくづく分からんのだ。あることは分かっているが、それも漠然としたものだ。その漠然としたもので人を裁いている。鉄蔵よ、本当の意味でそれを知っているのは、一度でも、その一線を越えた者かもしれんな……」
つづく-------

《WEB限定掲載》

※前回までの話は、電子新聞momottoのメニュー「momotto+」→「LOCULTURE」でお読みいただけます。

momottoメモ

吉田 真童(よしだ・しんどう)1977年11月、千葉県生まれ。3歳から一関市で暮らし、山目小・中学校、県立一関一高卒業。日本大学中退後、仙台市の建築士事務所勤務を経て地元で文筆活動に入る。2010年、第3回WOWOWシナリオ大賞優秀賞。同年の第35回創作テレビドラマ大賞を受賞した脚本「夜明けのララバイ」がNHKにてドラマ化され、12年3月全国放送。18年9月、小説「天下にきらら 幕末少女伝」を上梓した。

◆吉田真童オフィシャル「いけころし」特設サイト https://shindoyoshida.com/ikekoroshi/

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地元一関で文筆活動 念願の著書初出版・吉田真童さん