連載小説「いけころし~伊達男捕物帳」

第一話「穢れ」(12)

 質素に慎ましく暮らしていた母子。たった一度、母が抱いた欲は、誰も傷つけない些細なものであった。
 息子の願いを叶えてやりたいという母の想いは悪であろうか。どんな親でも願う、そんな些細なものの代償が、息子の命ではあまりに大きすぎる。
 源助の腕に歯を立てる時、おときの覚悟はいかばかりだったか、察するに余りある。悔やんでも悔やみきれない想いであっただろう。
 炎に影が揺れる中、両膝をついて源助の腕を掲げるおとき……。
 何度も躊躇いながら、やがて噛みついたその口からは、吐息とも嗚咽とも分からない、苦しみに悶える息が漏れていた。

 久四郎は、持っていた盃を膳の上に叩きつけた。
 膳の上の魚も、皿と共に飛び散った。
「それじゃ、一番の悪党はその中安っていう旗本ってことか」
 低い唸るような声でいうと、久四郎は万五郎を睨んだ。
「そうなるな」
 万五郎は涼しい顔で酒を啜った。
 次吉は、襖を開け辺りを窺う。すると、酒を運んできたおまつに、「しっ」と人差し指を立てられた。
 面目無い。小さく頭を下げる次吉であった。
 ここは喜代平で、万五郎に頼まれて久四郎を連れてきたのは次吉であった。捜査に協力してもらった礼をしたいというのである。しかし、万五郎がそこまで久四郎に義理立てするのか、次吉にも分からない。
「どうするんだ?」
「何をだ?」
「まさかその悪党を野放しにするつもりじゃねえだろうな」
 久四郎は片膝をついて万五郎に詰め寄った。
「……」
「おい!」
「証拠が無い。全てはおときの話だ」
「女が嘘をついてるってえのか?」
「そうかもしれん」
「じゃあ、中安に訊いてこい」
「晋太郎に遺書を残して死ねと迫ったのだろうが、それを示す証拠が無い。訊いたところで白を切られて終わりだ」
「金は?」
「おそらく公金を不正に使ったのだろう。しかし、相手は郡奉行副役だ。金勘定で敵う相手じゃない」
「お前、何者だ? 同心じゃねえのか」
「それに……他の誰でもなく、おとき自身が公にしないでくれと言っている」
「てめえ本気で言ってんのか」
「目の前にある事実! それはおときが源助を殺した、ただそれだけだ」
 暫し二人は睨み合った。
 珍しく声を荒げた万五郎に、次吉もおまつも目を見張った。
「ちっとは面白い奴かと思ったが、役人は役人だな……」
 久四郎は袖から金を取り出すと、万五郎の膳の上に置いた。そして、静かにその場を後にした。
 万五郎は、黙って一点を見つめるだけだった。
(俺の判断は間違っていないか……)
 万五郎は、ずっと考えていた。
 次吉やおまつは、ひと腐れ嘯いて見せても、結局のところ万五郎の判断に異論は言うまい。だからこそ、久四郎に訊いてみたかった。
 何の垣根もない、あの男に。
 俺は間違っていないか、と……。
 結果は、見ての通りである。久四郎の言う通り、犯罪に身分は関係ない。どんな人間であっても、罪を犯した者は裁かれる。そうでなくては、世の道理が立たぬ。
 それから数日後。おときは奉行所のお白州の上で、吟味方の杓子定規な裁きを受けた。
 死罪であった。

 桜も散り、春も終わりを告げた日。
 万五郎の姿は、伝馬町にある牢屋敷にあった。二千坪を超える敷地の周囲を、一間半(約三メートル)ほどもある高い塀が取り囲んでいた。
 牢から出されたおときは、東の角にある斬首場までの道のりを、縄に繋がれた状態で歩いていく。
 突然、身を振り乱し走り出すおとき。役人長屋の間から、腕を組んだままじっと見つめてる万五郎を見つけたのであった。
 すぐさま役人たちが馬乗りになって取り押さえたが、それでも奇声を上げ、足をばたつかせ抵抗した。
 呆れた役人の一人が刀を抜き、側面でおときの背中を平打ちにする。すると、おときはぐったりと力なく蹲った。
 役人たちに担がれ運ばれていくおとき。しかし、その目は万五郎を捉え、離すことは無かった。
 傍から見れば、最後まで悪あがきをする、無様な下手人に見えたであろう。
 しかし、万五郎は分かっていた。
 そこにいるのは、息子の名誉を守り切り、武士の親という鎧を脱いだ女であった。
 どこか穏やかにも見えるその面差しは、この世でたった一人の息子を想う、母の顔に戻っていた。
了-------

《WEB限定掲載》

※前回までの話は、電子新聞momottoのメニュー「momotto+」→「LOCULTURE」でお読みいただけます。
※続編(第二話)の掲載も予定しています。どうぞ、ご期待ください。

momottoメモ

吉田 真童(よしだ・しんどう)1977年11月、千葉県生まれ。3歳から一関市で暮らし、山目小・中学校、県立一関一高卒業。日本大学中退後、仙台市の建築士事務所勤務を経て地元で文筆活動に入る。2010年、第3回WOWOWシナリオ大賞優秀賞。同年の第35回創作テレビドラマ大賞を受賞した脚本「夜明けのララバイ」がNHKにてドラマ化され、12年3月全国放送。18年9月、小説「天下にきらら 幕末少女伝」を上梓した。

◆吉田真童オフィシャル「いけころし」特設サイト https://shindoyoshida.com/ikekoroshi/

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地元一関で文筆活動 念願の著書初出版・吉田真童さん