連載小説「いけころし~伊達男捕物帳」

第三話「孤船上の殺人」(6)

 事件の日。
 藤一は隙をみて隠し持っていた小刀で梶の腹を一刺しにした。そして、驚いて逃げようと這いずった芸妓の背中に馬乗りになると、刃を突き立てた。
 梶は、まだ息があった。それもそのはず、一発で殺すはずがない。急所は外してある。
 それから藤一はおれんの無念を晴らすように、梶に何度も小刀を突き刺した。
 やがて気づくと、梶はとっくに息絶えていた。
 藤一は船尾に移ると、船の外に半身乗り出し、顔に付いた返り血を川の水で洗った。川面に映った己の顔をまじまじと見つめると、満足したように一息吐いた。
 船縁にもたれかかると、左肩に刃を当てた。
 そして、一気に右脇腹に向かって小刀を引いた。
 ぐわっと体が前のめりになり意識が遠くなっていく。
 藤一は、歯を食いしばり飛んでいきそうな意識を必死に手繰り寄せた。眼前の船縁が微かに見えた。藤一は、左手を伸ばし船縁を掴む。そして、最後の力を振り絞り、体を引きずった。
 小刀を捨てねばならぬ。
 藤一は右手を船の外に出した。意識が飛ぶのと同時に、小刀は暗い川の中に吸い込まれるように落ちた。

「被害者を装ったのだな?」
 万五郎が言うと、藤一はこくりと首を垂れた。
「船の上は梶を殺すには絶好の場所だが、船を乗り捨てて逃げては真っ先に疑われる。足がつかずに次の標的である勘兵衛を殺すには、この方法しかなかったということか」
「お察しの通り……」
「死ぬかもしれぬとは思わなかったのか?」
「死んでも構いませぬ。生きていても価値のない男で御座います。ただ、もし生きのびることができたなら、その時は勘兵衛を殺りに行こうと」
「運が良かったな」
 離れて聞いていた久四郎はぽつりと呟いた。
 万五郎はすくっと立ち上がると、店の奥に向かって呼びかけた。
「次吉、よいぞ」
 次吉は後ろ手に縛られた勘兵衛を藤一の前に差し出す。勘兵衛は、土間の上に両膝を着いた。
「白状しおった。藤一、お前の睨んだ通りだ。こやつは梶に金を握らされて事件をもみ消した」
「所詮、この世は金だ。俺は金のために働く、それの何が悪い」
 勘兵衛は、悪びれる様子もなく一同に向かって吐き捨てた。
 藤一は表情を変えることなく、黙って勘兵衛を見つめていた。
「お武家様、人殺しの言い分を信じるんですかい。俺が何をしたって? 事件をもみ消した!? それをどう証明するんで?」
 確かに勘兵衛の言う通りだった。梶がこの世を去った今、勘兵衛との悪だくみを立証する術は、勘兵衛の自白以外に無い。
「ここは俺に任せろ。なぁに殺しはしねえよ」
 久四郎はそう言うと立ち上がった。
「まあ、そう急かすな。藤一、お前はどうしたい?」
 万五郎が藤一に問うと、
「私はもうこの体で御座います。正直、一人でこの男を殺めることができるだろうかと思っておりました」
「想いは遂げたか?」
「へい。正直に申し上げて、無念は御座います。しかし、事件の真実を小山様に分かっていただけて本望で御座います。これより望むは不躾というもの」
 藤一は、小さく腰を折り、万五郎に向かって首を垂れた。
 勘兵衛は、それ見たことかとぱっと顔が明るくなり、
「そうだろ。俺は金を貰っただけだ、だがそいつは梶を殺した。どっちの罪が重いかって話で御座いやす。さあさあ、縄を解いておくんなまし。なあに、皆様のお手は煩わせませぬ。こやつをあっしが奉行所までしょっ引いてって差し上げましょう」
 勘兵衛は、意気揚々と語った。
 万五郎はその様子を暫し黙って見ていた。が、やがて口を開き、
「藤一」
「へい」
「すまん」
「へい?……」
「すべて俺の思い過ごしだ」
「へ、へい……」
「養生せえよ。達者でな」
 万五郎は、そう言うと藤一の肩に手を置き、微笑を浮かべた。そして、踵を返すと、一人店を出て行く。
 久四郎と次吉は顔を見合わせたが、すぐにその意味を察した。そして、二人も万五郎の後を追うようにその場を後にするのだった。
 店の中に残された藤一と縛られた勘兵衛。
 藤一は目を瞑り、
「万五郎様、ありがとうございます」
 と、呟くと胸に抱くようにしていた短刀の先を、勘兵衛に向け構えた。
 勘兵衛は、恐怖に声もなく目を剥いた。

 翌日。深川の小料理屋には胸を一突きにされた男の遺体があった。傍らには、錆びた十手が転がっていた。
 そして、隅田川の浜辺には、また別の男の水死体が打ち上げられていた。
了-------

《WEB限定掲載》

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momottoメモ

吉田 真童(よしだ・しんどう)1977年11月、千葉県生まれ。3歳から一関市で暮らし、山目小・中学校、県立一関一高卒業。日本大学中退後、仙台市の建築士事務所勤務を経て地元で文筆活動に入る。2010年、第3回WOWOWシナリオ大賞優秀賞。同年の第35回創作テレビドラマ大賞を受賞した脚本「夜明けのララバイ」がNHKにてドラマ化され、12年3月全国放送。18年9月、小説「天下にきらら 幕末少女伝」を上梓した。

◆吉田真童オフィシャル「いけころし」特設サイト https://shindoyoshida.com/ikekoroshi/

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地元一関で文筆活動 念願の著書初出版・吉田真童さん