一関・平泉

思い出 心の中に 小梨、奥玉小閉校式【一関】

小梨小の閉校式で声高らかに校歌を斉唱する出席者
お別れの言葉で思い出の詰まった校舎に感謝を伝える奥玉小の児童

 一関市内の小学校統合に伴い2017年度で閉校する同市千厩町の小梨、奥玉両小学校で18日、閉校式が行われた。児童らが145年にわたり地域と共に歩んできた学校の歴史を振り返り、思い出いっぱいの学びやにお別れの言葉と感謝の思いを伝えた。

 小梨小(高橋信之校長、児童44人)の閉校式には、児童、教職員、地域住民、来賓ら約250人が出席。小菅正晴教育長が市教委告辞、勝部修市長があいさつを述べた。

 高橋校長は、学校教育の基本として長年引き継がれてきた五訓(誠実、勤勉、自治、協同、進取)の精神に触れながら「皆さんは学校の伝統を受け継ぎ、五訓の精神を行動で表してくれた。五訓の誇りを胸に秘め、新小学校、中学校に行っても活躍してもらいたい」と期待した。

 お別れの言葉では全校児童が運動会や学習発表会、五訓祭りなど楽しかった1年間の思い出を振り返りながら新小学校での決意を述べ、「小梨の子であることに誇りを持ち、これからもチャレンジしていく。地域の皆さん、私たちの活躍を見守っていてください」と呼び掛けた。校旗返納後には出席者全員で校歌を声高らかに斉唱した。

 同校は1873(明治6)年に開校。分校開設や校名改称などを経て1987年に小梨、南小梨小が統合し、新小梨小となった。63年に地域一体となって整備した学校林「五訓之森」を活用した森林活動では、児童が自然に親しみながら五訓の精神を育んできた。開校以来、5700人余りの卒業生を輩出した。

 奥玉小(千葉栄校長、児童107人)の閉校式には、全校児童をはじめ、教職員、地域住民、卒業生ら約250人が出席。千葉校長は「奥玉小は閉校し、新たな学校に生まれ変わる。児童の皆さんには大勢の仲間と切磋琢磨(せっさたくま)し、これまで以上に力を発揮して新たな伝統を創り上げてほしい」とあいさつした。

 全校児童によるお別れの言葉では、思い出の詰まった校舎に感謝を告げ、「明るく仲の良い私たちは、地域の人たちと室根山に見守られて育ってきた。奥玉で過ごした素晴らしい日々は決して忘れない」と力強く語った。伝統の校旗が千葉校長から市教委に返納され、校歌を斉唱して締めくくった。

 同校の沿革によると、1873(明治6)年、下奥玉小学校、奥玉学校、中の前学校を設置。下奥玉小は後に分校となり、78(同11)年に奥玉学校と中の前学校が統合して奥玉小学校となった。分校の廃止や校名改称などを経て1977年に現校舎が完成した。ソフトボールや野球のスポ少、金管バンドクラブの活動が盛んで、青少年育成活動に積極的に取り組んできた。卒業生はこれまでに7600人余りを数える。

 

ILC発信へカレンダー 奥玉小6年生ら卒業制作

 奥玉小学校の6年生とPTAは、国際リニアコライダー(ILC)に関するカレンダーを制作した。親子らがILCをテーマに描いたイラスト入りのカレンダーで、誘致に向けたPRにも活用される。18日の閉校式後にお披露目され、関係者がILCの実現と子供たちの明るい未来に期待を寄せた。

▲ILCカレンダーのお披露目後、記念撮影を行う奥玉小の6年生ら

 市の「子どもたちによる地域の情報発信事業」を活用し、今年度の卒業制作として取り組んだ。カレンダーには6年生23人と保護者が宇宙や実験装置などILCをイメージして描いたイラストを月ごとに4点ずつ掲載。表紙などを含めて1部14枚つづりで、1000部作成し、今後地区内に全戸配布される予定。

 お披露目のセレモニ―では市やPTA、代表児童ら関係者が除幕を行い、記念撮影してカレンダーの完成を祝った。及川留美さん(30)は、息子の勇生君と協力し、世界中の人と力を合わせてILCを実現させる様子をイラストで表現した。「一緒に話し合いながら描いた。閉校、卒業の良い記念になった」と笑顔を見せた。

 6年PTA会長の菊地健太郎さん(40)は「思っていた以上に素晴らしい卒業制作になった。誘致が実現し、子供たちが将来ILCに携わってくれたらと思うと夢が膨らむ」と話していた。

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