一関・平泉

元年 色川武大 一関に移住【あの日あの時 平成を振り返る】

一関市桜木町の自宅アパートでくつろぐ色川。左はベイシー店主の菅原さん
菅原正二さん 今も愛され続ける

 平成を迎えたばかりの1989(平成元年)年、直木賞作家色川武大(29~89年)が一関市に移住したことは、全国のファンを驚かせた。その1カ月後、心臓の病によって60歳で亡くなった衝撃とともに、今も一関市民に語り継がれている。移り住むきっかけとなったジャズ喫茶ベイシー(同市地主町)の店主菅原正二さん(76)は「付き合いが深過ぎたので色川さんのことは語り尽くせない」と回顧する。

 色川は東京生まれ。ばくち打ちとしても有名で、マージャンを広めた人ともいわれる。阿佐田哲也というペンネームも持ち、小説「麻雀放浪記」で知られる。78年には「離婚」で直木賞、82年には「百」で川端康成文学賞、88年には「狂人日記」で読売文学賞に輝くなど数々の文学賞を受賞した。

 大のジャズ好きでもあり、70年代後半から、音の良さや菅原さんに引かれ、ベイシーへたびたび足を運んだ。

 晩年は都会の騒がしさから離れて静かに執筆したいと、89年3月に同市へ移住。菅原さんが手配した同市桜木町のアパートで暮らし、ほぼ毎日ベイシーを訪れていた。

 だが移住して間もなくの4月3日に自宅で倒れ、10日にこの世を去った。菅原さんは当時、宮城県栗原市瀬峰の病院で息を引き取った後、桜木町の自宅へ戻る際に付き添ったといい「初めはおっかない顔をしていたのに、一関に着いたら表情が和らいでいた」と振り返る。

 生前、「一関の土になる」と口にしていたという色川。市では毎年、色川をしのんでマージャン大会が開かれるなど、没後30年を迎える今もなお愛され続ける。

 一関での思い出の一部として、菅原さんは厳美渓の「郭公だんご」へ一緒に行き、色川が丸い皿におびえていたことや、ナルコレプシーだった色川が、居眠りしながら電柱に向かって歩いていったため体を支えたことなどを、懐かしそうに回想した。

 子供時代から落語や喜劇に触れた色川を「早熟の人。実質120年ぐらいは生きたよ」と菅原さん。「でも本当のところ、色川さんのことは分からないのかもしれない」と胸中を語った。

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