奥州・金ケ崎

作詞者の直筆歌詞発見 創立110周年の節目に 水沢高第一応援歌

発見された水沢高第一応援歌の直筆歌詞。「水高選手応援歌」と題されている

 県立水沢高校(奥州市水沢字龍ケ馬場)の第一応援歌の作詞者阿部庄一郎さん(1906~59年)による直筆の歌詞が見つかった。阿部さんは当時の教諭で、家族が保管していた。地域の歴史を掘り下げる本がきっかけで、創立110周年の節目を迎える同校にとって貴重な発見となった。

 歌詞を保管していたのは、阿部さんの次男研也さん(76)=埼玉県狭山市=。自費出版シリーズ「奥州・仙台の謎解き」を発行している奥州市水沢出身の佐々木伸さん(65)=仙台市=から取材を受け、第1弾「逍遥歌 奥州と信州の知られざる絆」の刊行・改定に協力した。研也さんは今春に出来たこの改定版を読み、母から預かった阿部さんの遺品のことを思い出したという。

 歌詞はわら半紙に万年筆の青いインクで4番まで書かれている。題は「水高選手応援歌」とあるが、内容は現在の第一応援歌とほぼ同じ。「廣野に萌ゆる」「我等の選手」など、細部の表記は違う。阿部さんの同校教諭時代の書類をまとめた箱の中に入っていた。

 同校は11(明治44)年に胆沢郡立実科高等女学校として創立。学制改革で県立水沢中学校、水沢商業学校と統合し、48年に県立水沢高校となった。佐々木さんによると、阿部さんの正式な赴任は同校創立と同時との記録が残り、同年に入学した生徒が応援歌の作詞を依頼したという証言もあることから、49年に作詞されたとみられる。発見された歌詞は阿部さん自身の控えとみられ、原本とみなせるほど初期の物という。

 阿部さんは東京生まれ。旧制一高(現東京大)で学び、一時は文学も志した。太平洋戦争中に疎開し水沢へ転居。水沢中時代に既に英語教諭として招かれていたという情報もあり、草創期の同校の学力を高めることに尽力したという。同校に伝わる歌のうち「逍遥歌」「水高賛歌」も作詞している。

 自らも同校に在籍した研也さんは「変更された(現在の)歌詞と原詞それぞれに良い部分がある。父が変更した部分もあるかもしれない」と語り、「水高を離れて61年たつが、原点でもある水沢に郷愁を覚え、今でも口ずさむ応援歌が好きだ」と懐かしむ。

 佐々木さんは「全国高校総合体育大会などが中止となる中、応援歌の発見は高校生への応援のメッセージなのかとも思う。110周年の節目に、母校にも報告したい」としている。

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