一関・平泉

義経最期に思いはせ 藤原まつりで追善法要【平泉】

源義経の木像が安置された義経堂の前で行われた追善法要

 春の藤原まつりは2日、平泉町の高館義経堂で源義経公追善法要が営まれ、悲運の死を遂げたとされる地で参列者が義経や武蔵坊弁慶ら主従の冥福を祈った。

 法要は義経堂を飛び地境内とする毛越寺によって行われ、町や町教委、平泉観光協会の代表のほか、一般の参拝客やまつりで同町を訪れた観光客が参列。同寺の藤里明久貫主ら一山の僧侶8人が読経後、義経堂を回りながら散華した。

 東京都から観光で訪れた松村朋美さん(28)は「この場所で義経やその妻子が命を落としたと思うと、感慨深いものを感じる」と語り、静かに手を合わせていた。

 兄頼朝に追われる義経は、藤原秀衡を頼り平泉に落ち延びたものの、頼朝の圧力に耐えかねた秀衡の子泰衡の急襲に遭い1189年、居館のあった高館で妻子と共に自害したとされている。

 義経堂は、仙台藩主4代伊達綱村が1683年に建立。堂内には義経の木像が安置されている。

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